オーケストラ演奏会と岩手県民会館のはなし。

昨日は楽しみにしていた演奏会へ行ってきました。

チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
2017日本ツアー

指揮 : ウラディーミル・フェドセーエフ
共演・ソリスト : 三浦文彰

セットリストは
祝典序曲《1812年》作品49 チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 チャイコフスキー
交響曲第5番 ニ短調 作品47 ショスタコーヴィチ
 
三浦さんは盛岡が初演なそうで
ちょっと緊張してたかな?時折汗をぬぐいながら演奏していました。
演奏はもちろん素晴らしかったです。
私は“ヴァイオリニストの弾き姿フェチ”なのですが(笑)
三浦さんの弾き姿もなかなか♡でした。

15日のサントリーホールでの演奏会にも出演されるみたいなので
気になる方はチェックしてくださいね。

三浦さんは若いし、これからもっと世界に羽ばたいていけばいいなあ。応援したいと思います。

演奏会場の岩手県民会館は
川沿いに佇む盛岡のシンボル的な建物で、幼いころからの思い出がいっぱい詰まった建物です。
川を挟んで反対側のパーキングに車を止めて
ユーミンの「さざ波」を口ずさみながらゆっくり歩き
橋を渡って会場に向かいました。
心はすでに演奏会モード♡


でも、会場に着いたとたん、その気持ちがしぼんじゃう。
その理由は。。。

県民会館は来年、改装工事をするそうです。
どんなふうに生まれ変わるのでしょう。
ハードとソフトの両面から改善され、
もっと芸術を楽しめる会館になることを期待したいと思います。
例えば、ステージが小さい。それは仕方ないかもしれないけれど、
せめてステージ上に並べる金属のパイプ椅子、あれはやめてほしい。
せめて黒に統一しましょうよ、と私は思うのです。
グッズやパフレットを販売するにしても
大きな声で販売員さんが「パンフレットはこちらで500円で販売してまーす」って叫ばなくても、欲しい人が自然に流れるようなレイアウトにしてね、とか。
改装するなら私のそんな小さな願いもかなえてほしいなぁ。
それとホワイエに
ドリンクバーは絶対に欲しい。
演奏会が始まる前、ホワイエに漏れてくる弦の響きを聞きながらシャンパンを1杯だけ飲む、というシチュエーションがたまらなく好きなので(笑)
たのみますよ、岩手県民会館さん!


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洋服のコーディネーターさんにコーディネートしてもらいました♪

こんにちは。フェヴリエのインテリアコーディネーター綱木です。
本日もブログにお越しいただきありがとうございます(^^)

私はインテリアコーディネーターなので
いつもはコーディネートする側の人間ですが
先日、コーディネートされる側を体験しました。

デパートのファッションコーディネーターさんに
お洋服のコーディネートを依頼してみたのです。
今日のブログはそのことを書こうと思います。

デパートには専属のコーディネーターさんがいると噂には聞いていましたが、
どうやって頼めばいいのかは知らないし調べてもいなくて
たまたま、売り場の方に
「そういえば、コーディネーターさんっているんですか?」
と聞いてみたら
「いますよ、お呼びしますか?」
と。
そんな行き当たりばったりで、お願いすることにしたのでした(^^;)

 コーディネーターさんにお伝えした私の要望は
「真面目すぎず、くだけすぎず」
「トレンドを入れてほしい」
「私の職業と年齢、体型を考慮して痛くないコーディネートにしてほしい」(笑)
の3つ。

コーディネーターさんと一緒にデパートの売り場を歩きながら、 まずはワンピースを選びました。 あれこれ迷い、その中の一つを試着し、気に入ったので、即決まり。
コーディネーターさんはそのワンピースを抱えて 他のブランドの売り場に行き
いくつか合う上着とストールを持ってきてくださいました。

その中で、 一番のお勧めは?と聞くと
このストールです、とコーディネーターさんは言いました。
トレンドの、アフリカンエスニックを意識してくださったようです。

緑がかったカーキは私の好きな色ですし、
綺麗めなアフリカンエスニックなら 年齢的にも職業的にもOK。

そうして、30分もしないうちに ワンピース、ストール、ネックレスをコーディネートして
最終プレゼン!
こんなコーディネートをしてもらいました。

いかがでしょう♪
手持ちのバックと靴を合わせてみた図。
地味?いいんです、わたくしジミーちゃんですから(笑)、
結構気に入っています。

しかも、このネックレスはセール品で(笑)
嬉しいじゃないですか。

コーディネーターさんに要望をお伝えし、あとはお任せして
どんなコーディネートをしてプレゼンしてしてくれるのか、 ワクワクしながら楽しい時間を過ごせました。
これ、意外と楽しくて(^^)
機会があったらまたお願いしてみよう、そう思いました。

ああ、私の仕事もこんなふうに お客様をワクワクドキドキさせ、
楽しかったと思っていただけたら 本当にうれしいな、と つくづく思ったわけです。

で。さて。
私はインテリアの、プロの、コーディネーターです。

インテリアのことなら、あなたの強い味方になれます。
インテリアで困っていることや悩んでいること、 早く解決しちゃいたいことがありましたら
どうぞ頼ってくださいね。

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私の仕事遍歴。長いです(笑)

本日もフェヴリエのブログにお越しいただき
ありがとうございます。

今日は私のアルバイトを含めた仕事の履歴について書きたいと思います。

【大学時代】
虎ノ門の花屋さんでアルバイト。
大企業の受付や社長室にお花を生けるアシスタントをしました。
センスいいじゃん!ってお花屋さんに言っていただいたことが自信になって
その後ショウルームやモデルルームの花を自分で活けていました。

家具屋さんでインテリアコーディネーター(もどき)。
インテリアコーディネーター募集の広告を見て応募したら受かり、1年くらいアルバイトをしました。ブライダルフェアの企画で展示する家具を選んだりレイアウトを考えたり小物を飾ったりのオシゴト。本物のインテリアコーディネーターさんのお手伝いもこの時経験しました。
フクラ、マルニ、インテリアセンター、村田合同、マルイチセーリング、カリモク、コスガ、リーンロゼ等そうそうたるメーカーを展示販売しているショウルームで、土日ともなるとお客様がたくさんいらしていました。
私も土日は売り場に立って接客。大学生の分際で、お高い家具を結構売っていました(笑)

【社会人になってから】
大学を卒業しキッチンメーカーに就職。
主にキッチンの設計図を書いていました。
設計事務所やハウスメーカーからの依頼を受け、最初は1/30スケールでラフプランを描き、契約にいたると1/20スケールで躯体との納まりまでを図面化していました。
当時はまだトレーシングペーパーに手書きで図面を描いていました。A2サイズ。
そしてコピーではなく、青焼きでした。


1989年の青焼き図面(笑)。記念に持ち帰りずっと隠し持っていました。もう時効ですよね(^^;)
青焼きっていうのは、線に表情が出て書く人の個性が表れて好きです。
今となっては絶滅品種となった「青焼き」。薄く引いた補助線が愛おしい(笑)。
ちなみに私は文学部出身です。図面はこの会社に入ってから先輩に教えてもらって覚えました。


手書きでこんなのも書いていたんですね~(^^;)載せといてなんですが、恥ずかし~(笑)
レンジフードが変ですね(笑)
時代を感じさせてくれる扉材ですね(笑)
シンクに入っているのはネギですか?(笑)

今はこんなかわいいタッチでは書きません(笑)

やがてCADやCGが導入され。。。。


人生初CG!これ、CGですからねーっ(^^;)
このドットの粗さ(笑)。いろいろ練習している途中でプリントアウトしちゃったのでしょうね。へんてこりんすぎて面白いので載せときます(笑)

青焼きからCGへ。
昭和から平成へ。(笑)
時代の変化を感じながら、私は次のステージへと進みます。

大手ハウスメーカー勤務。
大手ハウスメーカーはインテリアコーディネートがとってもシステマチック。
さすが大手だなあ、という感じ。内装材、クロスやキッチンまですべてオリジナル化されていて
ツーといえばカーって感じでコーディネートが成立するシステムでした。

ここでは注文住宅、建売、モデルハウスなどかなりの棟数を手掛けさせていただきました。
はじめて「セミナー講師」を経験したのもこのころ。
口から心臓が飛び出るんじゃないか、というくらい緊張しました。
ちょうどこの頃、岩手インテリアコーディネータークラブが発足し、
市民講座の講師やテレビ番組での講師など、輪番でやらせていただいて、本当にいい経験をさせていただきました。度胸はこの頃ついたと思います。


なみなみした線で壁を描くのは当時の流行り?結局、手描き。(笑)

結婚出産を経てフリーランスへ。
フリーランスになる前に、住宅会社からモデルハウスのコーディネート依頼を受け、
その仕事をきっかけに屋号を設け、独立しました。
独立後すぐに、ハウスメーカーと業務委託契約することができました。
個人事務所とハウスメーカーICの二足の草鞋を履くことに。
公私ともに多忙で充実していた時期。


だんだんにコーディネーターらしいお仕事をさせていただけるようになっていきました。

このころ再びテレビのお仕事をいただきました。NHKの情報番組内でインテリアレッスンのコーナーを持ったのです。
この時ディレクターさんに言われたこと、
「綱木さん、もっと先生らしく堂々と悠然と歩いて登場してください」。
当時私はまだ30代半ば。堂々と悠然と、は無理でした(^^;)
今ならできると思いますが(笑)
この二足のわらじ時代が最も長く、その間に県外のお仕事をさせていただく機会が増え、行動範囲が広がりました。
そして、クリニックやマンション、リフォームなども手掛けるようになって、仕事の幅を広げていくことができました。

こうして、たくさんの経験を積んで
2016年にフェヴリエ・インテリアコーディネーション&サプライを立ち上げました。
over50で新展開をもくろんだわけです(*´艸`*)

 

わたしというインテリアコーディネーターの特徴
私は大手ハウスメーカーの仕事が長いので、その仕事で培った経験が糧になっています。
高額物件を得意とし幅広いインテリア商材を扱えるハウスメーカーでしたので、私も早くから国内外の一流商材でインテリアコーディネート提案をすることができました。この経験は私の宝です。
一方でフリーランサーとしての経験も長いので、いろんな企業様の方針に柔軟に対応できるスキルを持っています。
また個人のお客様へは、その方の個性に合ったインテリアデザインを提案し、国内外の素敵な家具やカーテンをご提供することができます。

フェヴリエは主に、個人のお客さまへインテリアコーディネートとインテリア商材をご提供するオフィスです。
おかげさまで、フェヴリエにはこのサイトを通して個人のお客様からのご依頼が続いています。
先日は東北でも東京でもなく、もっと遠方からのお問い合わせもあり、ボーダーレスという時代を実感しました。都会も田舎も関係ない。
個人事業主にとって良い時代です。
遠方からのご依頼は初めてですが、
せっかくのご縁は無にしたくありません。
大事につないでいきたいと思っています。

そしてこれからのこと。
私にはまだ果たせていない野望があります。それはとても小さな野望なのですが、まだ叶っていません。

もう少し時間はかかると思いますが、必ず叶えます。これは自分との約束

と、いうことで。
綱木里香の仕事遍歴、いかがでしたでしょうか。
たいしたことはありませんが、
インテリア業界ひとすじに、長く曲がりくねった道を「好き」だけで歩いてきたことをお分かりいただけたでしょうか。
ずっと一人親方で自由に生きてきました。
仕事と子育てで心が揺れる日々もありましたが

今は子育てもひと段落したので、もうひと頑張りします。
これからも、ただひたすらに、ひとすじに。
誰に何と言われようと、私は私であることに自信と誇りをもって
この仕事を続けていきます。

本日も長い文章をお読みいただきありがとうございました。
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追:このサイトからお問い合わせをいただきありがとうございます。
お返事をお待たせして申し訳ありませんm(__)m
今日明日で必ずお返事します(^^)